ピヨまるくん妊娠&誕生の記録①

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ピヨ母です。

自己紹介で書きましたが、ピヨまるくんは妊娠29週生まれの男の子です。

かなりの早産となり、もちろん妊娠した時には想像のつかなかったことの連続でした。

乱雑な文章でネガティブなところも多々ありますが、記録として書かせてもらいます。また、少し長くなるのでいくつかに分けます。

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生理の遅れと体調の変化があり、なんとなく妊娠かな、そうだと嬉しいなと思いながら、市販の検査薬で調べると陽性でした。

実は一度妊娠初期に流産をしており、今後妊娠できるのか不安だったのですごく嬉しかったです。

そのあとすぐ旅行に行く予定があり、その時にピヨ父くんに報告をしました。すごく喜んでくれて、また嬉しくなりました。ほぼ毎日のように一緒に飲んでいたお酒も一緒にやめるといってくれてびっくりしました。(今は機会飲酒程度です)ピヨ父くんはタバコを吸っていましたが、結婚を機にスパッとやめてくれた過去もあり、なんてすごい人なんだと思いました。

ピヨまるくんがお腹の中でしっかり育ってくれるかという不安は常にあり、4週間ごとの検診が長く感じていました。毎回緊張して臨んでいましたが、すくすく大きくなってくれて毎回ホッとしていました。

職場に妊娠報告をしたところ、泊まり仕事は考慮していただき、他の先生の負担が増えることに申し訳なさを感じながらもありがたかったです。

仕事では無力さに落ち込むこともあったし、ストレスを感じないわけはなかったけど、少しのつわりがあったくらいで大きなトラブルはなく、性別を発表したり、名前を考えはじめたり、マタニティライフを楽しんでいました。

検診が2週間に1回になり、妊娠27週頃、いつも通り日中に仕事をして帰宅すると、腹痛と出血がありました。かかりつけの産婦人科に電話すると、悪化するようなら救急病院にいくように言われました。ピヨ父くんはとても心配してくれ、一応救急にも電話しましたが、やはり悪化するようなら受診することになり就寝しました。

その日は寝られましたが、次の日の朝、起きて気づいたときはお腹の張りと軽度の腹痛が15分ごとくらいにありました。開くと同時にクリニックを受診したところ、診察の結果、頚管長の短縮があり、すぐに大きな病院に行くように言われました。大きな病院でも診断は変わらず、中等症〜重症の切迫早産で即日入院となりました。入院準備を取りに帰るのも止められ、ピヨ父くんが仕事を早退して対応してくれました。

入院してすぐリトドリン点滴が始まりました。点滴開始後、お腹が張りと同時に感じていた腹痛は無くなっていき、張りの回数も減っていきました。しかし、なくなることはなく、少しずつ点滴速度が増えていきました。動悸やほてりといった副作用はしっかり感じました。

入院3日目の夕方から張りに腹痛を伴うようになり、頻度も増えてきました。リトドリン増量でも対応できなくなり、もういつ生まれてもおかしくない状態と説明されました。そして、この病院にはNICUがなく、生まれても対応ができないためNICUのある病院に母体搬送が決まりました。

感染対策のため入院中は面会なしでした。入院が長くなるかもしれないけど、ちゃんと落ち着いて退院するのが目標で、それまではピヨ父くんに会えないのは寂しいけど耐えようと思っていました。

母体搬送の時にピヨ父くんに会ったときは、こんな再会の予定じゃなかったのにという気持ちと、顔を見て話せた安心感で涙が出ました。

思い返すと、1週間前の検診の時にクリニックでお腹が張ることを相談していましたが、先生にはこの時期はあまり張らないけどねと言われただけでした。

あのときなんかしてくれてたら変わったんじゃないか。

とかなんとか、人のせいにしてみたりしたけど、そういうことではなく、結局は自分の危機管理能力の低さにかなり落ち込みました。

色々気をつけて生活していたつもりだったけど、こんなことになってしまい、ピヨまるくんにもピヨ父くんにも罪悪感ばかりで、救急車で次の病院に向かいました。

②に続きます。

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