ちなみに呼吸サポートは生後2週間くらいでNHFCになりました。
GCUに行くと聞けばstepupという感じで嬉しいはずなのですが、実は心配事もありました。
ピヨまるくんは保育器のままGCUに移動となりましたが、この病院ではGCUに保育器のまま移動することは滅多にないことでした。そして、NICUとGCUの看護師さんは違うため、GCUの看護師さんは保育器の扱いに慣れていませんでした。
ピヨまるくんは呼吸安定化のためにうつ伏せで過ごすことが多かったのですが、NHFCをつけて、保育器の中で仰向けからうつ伏せにする作業とか、ポジショニングのためのタオルも入れ方とか、正直不安はたくさんでした。でも慣れてもらうしかないので看護師さんにもピヨまるくんにも頑張ってもらいました。
搾乳は毎日冷凍して持っていっていました。やっと胸の張りに慣れてきた頃でしたが、3−4時間ごとくらいに搾乳しないと痛くて起きるし、乳腺炎一歩手前には何度かなりました。搾乳機は産後入院中に使用した電動のを使っていました。買った時は高いなあと思ったけど、めちゃくちゃお世話になったし、使い倒して満足です。
母乳に強化パウダー加えて胃管から入れていましたが、体重に合わせて量も少しずつ増えて行きました。
ピヨまるくんは鼻にNHFCをしていたため胃管は口から入っており、手がよく口元に行くので引っかかって抜けることが多く、面会に行くとよく手に持っていました。目の前で抜かれたこともありました。
33週くらいにお洋服を着て保育器から出てきました。おむ1も可愛かったですが、洋服もかなり似合っていました。この頃からなかなか酸素離脱ができないなあとは思っていました。
35週くらいから、沐浴、経口哺乳がはじまりました。沐浴、哺乳は大仕事であり、疲れてSpO2が下がることもしばしばあり、無理せず胃管を併用したりしていました。直母は飲み取るのがやはり難しいようでぼちぼちでしたが、少しずつ増えて嬉しかったです。
呼吸に関して、この辺の時期に、定期的に撮っていたレントゲンで少し白くなってきていること、酸素の持ち帰りがありそうなことを言われました。退院前に胸部CTをとる予定にしている旨も聞きました。
結構ショックでしたが、この時はまだ酸素は置いて帰りたいなと思っていました。
もう少し後の話になりますが、呼吸の具合、レントゲン、CTからは在宅酸素が本人にとってベストだと感じました。
急にですが、私はピヨまるくんが産まれるまで、この病院のこの科で働いていました。
そのため、先生も看護師さんも知ってる人だらけでした。
この環境だったからか(いや、性格が大きい気もします)、いろんなことが不安で仕方なかったのに、あまり気持ちを口にすることができませんでした。
根が泣き虫なので、家ではめそめそしていました。でも、病院では普通の顔を心掛けていて、時には涙目で普通のフリして喋っていました。今思うと、何を強がる必要があったのかと思うし、むしろ不自然で危ないやつになっていた気がします。
こういうところが、自分の性格のよくないところだなとつくづく思うのですが、なかなかなおせないところです。
そんなこんなで③へ続きます。おそらく入院編最後になると思います。
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