NICUのある病院へ転院になりそこで産婦人科医師からいつ産まれてもおかしくない状況であること、緊急帝王切開になる可能性が高いこと、手術の説明等を受けました。私は少しの間外科医の経験もありましたので手術前には現在の状況や今後の治療についてよく説明して治療者-患者間で同意(インフォームドコンセント)をとっていました。
そして患者さんに万が一命に関わる事もありますと何度も説明をしてきました。しかしいざ自分が聞く立場になると全然違った感情を抱きます。頭では理解していてもやはり当事者になって改めて言葉の重みを実感しました。
それから子宮収縮抑制薬として塩酸リトドリンに追加してマグセントの点滴も始まりました。頻脈や悪心などの副作用もあったそうで妻は必死に闘っていました。
面会はできなかったのですが物の受け渡しはいつでも大丈夫という許可をもらえました。仕事終わりには水やお菓子などを差し入れに行っていました。正直このあたりの記憶があまりなく私は少しぼんやりしていたのだと思います。海にも何回か行って時間が経ったら帰るみたいな日もありました。
妻とは毎日やり取りをし、マグセントの量が増えたとか今日はお腹が張っていた、あまり張っていなかったなど状況を共有しながら日々を過ごしていました。
入院して1週間後、深夜に妻からこれから帝王切開になるという電話がありました。
いつ生まれるか分からないと言われておりましたしその覚悟はしていました。
すぐに病院に行ったのですが妻はすでに手術室へ移動していて手術室に行く前に一目見る事が出来なかった事がとても悔しかったのを今でも時々思い返す事があります。
待合室での数時間はとても長く感じました。母子ともに元気な姿で帰ってくることを祈るばかりでした。
2時間程して手術を終えた妻が病棟に戻ってきた時、少し顔に疲れは出ていましたが安堵した表情にも見えました。頑張ったねと一声かけて妻は病室に入っていきました。
産まれた子どもはすぐにNICUに行き動脈ラインや点滴、採血、エコー検査などを一通り終えてから説明になるので妻が手術を終えてからもかなり長い時間待ちました。
深夜に病院に来ていましたが朝方になり、この日の天気は一日中曇りだったのですが一瞬だけ晴れ間がさした時がありました。その頃にNICUに案内され、ついに息子と対面する瞬間が来ました。
次回に続きます。
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