ピヨ父です。
妻がピヨまるの誕生日記を書いています。私の目線でもピヨまるの誕生を残しておきたいので書かせていただきます。
2021年末に下呂温泉に旅行に行っていた時のことでした。
妻に妊娠していると告げられました。私たちは以前に流産を経験していましたのでその時は素直に嬉しかったですが、この命が無事に誕生しますようにと祈る気持ちがあったのを今でも覚えています。
私も妻もお酒を一緒に飲むことが好きでしたが、妊娠が分かってからは妻は断酒し、それなら私もとお酒をやめました。
それからは定期的に病院に通い、はじめ超音波エコーで豆粒みたいな大きさの胎児はすくすくと成長していきました。
両家とzoomでつながりながらジェンダーリビールをしました。
スピッツ好きなのでお腹にいるうちから聞かせようとずっと流していました。
たまに妻のお腹を蹴ることもありその度にお腹に耳をあてていました。
何事もなく順調に時が流れていきました。
27週の6月はじめの頃でした。夜間に突然の出血があり、私はすぐに知り合いの産婦人科の同期に連絡しました。その後救急センターに連絡しましたが出血がおさまっていて腹痛がひどくないなら次の日でよいと言われたのもあり、翌日かかりつけに行くことにしました。
平日だったのですが、万が一の事も考えどうしてもやらなければいけない仕事を終え、休みをもらっていました。妻からはかかりつけですぐに大きな病院にいくように言われてこれから向かうと連絡がありました。
エコーでは週数と比較して子宮頸管長が短く、診断は切迫早産でした。
切迫早産には様々な原因があり、子宮内感染症が原因として多いことが分かっていますが原因が分からないことが多々あります。このまま破水してしまうと分娩が始まってしまうため、即入院となりました。入院の準備をしていまんでしたので面食らいましたが、それだけ事態は切迫していたのだと思います。妻は移動がリスクになってしまうので私だけ一旦家に戻りました。それきり妻は病棟へ上がり、面会は禁止でしたのでそれがしばらくの妻とのお別れになりました。
塩酸リトドリンという子宮収縮抑制薬の点滴が開始され、どれだけ収縮が起こっているかをモニタリングしながら流量を調整するのですが、思ったほどの効果がなかなかに乏しかったようでした。
入院して3日目の夜に当直医の判断で別のNICUのある病院に転院搬送が決まりました。その時私は家で二宮和也主演のマイファミリーというドラマの最終回を見ていました。入院前まで2人で欠かさず見ていましたのでこの日もドラマが始まった頃にマイファミリーの話をLINEでしていました。ですがその後返事がしばらくこないなと思っていたら終わりかけの頃に電話がかかってきて「転院することになった」と言われました。
病室は小さい個室で電灯が古い感じで、ここで1人で過ごすのはとても心細かっただろうなと思いました。涙が出そうになりましたがここで私が泣くのは違うなという思いで気丈に振る舞っていました。とにかく「大丈夫だから」と妻に言ってそれは自分にも言い聞かせていたのだと思います。
妻は救急車で、私は自家用車で次の病院へと向かいました。
次回に続きます。
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