ピヨまるくん妊娠&誕生記録③

Uncategorized

夜間に何かあればナースコールを押すようにいわれ寝ようと思いましたが、定期的にくる張りと腹痛で寝られませんでした。

持続点滴のため夜間もトイレに行くことは多かったのですが、日をまたいだくらいの時間にトイレで出血がありました。あ、やばいと思い、ナースコールを鳴らして、すぐに当直の先生の診察となり、子宮口がひらいていることを告げられました。このまま縦切りでの緊急帝王切開が決まりました。

手術を待つ間、ピヨ父くんに泣きながら電話しました。もともとピヨ父くんが責めるような人ではないのは知っていましたが、いつ産まれても大丈夫だよと励ましてくれたのはさらに涙でした。

明け方に手術室に呼ばれ、腰椎麻酔をして帝王切開が始まりました。NICUの先生もスタンバイしていただき、数分後に大きな鳴き声が聞こえたことは覚えています。その後、挿管してサーファクタントという肺の広がりを助ける薬を投与し、NICUに行く前にピヨまるくんの顔を見せにきてくれました。とてもかわいいということは認識できましたが、同時に麻酔の副作用で悪心が襲ってきており全く余裕はなかったです。吐き気どめを入れてもらい、そのまま順調に帝王切開は終わりました。

本当なら手術前に会うはずだったピヨ父くんは、手術開始時間の連絡がうまくいっておらず、術後にやっと顔を合わせることができました。NICUでの病状説明などはピヨ父くんに受けてもらうため、そのまま仕事を休み病院で待機してもらいました。

部屋に戻ってきてからは出血の確認や乳頭マッサージなど、意外とせかせかとしていました。ひと段落して携帯を見るとピヨ父くんからピヨまるくんの写真が送られてきていました。それをみながらいつの間にか寝てました。

早く会いたくて麻酔がきれて動けるようになったその日の夕方にNICUに会いにいきました。会うまでどこか現実味がなくふわふわしていた気がしますが、顔を見ると、この子がお腹の中で頑張ってくれてたんや、と気持ちが引き締まりました。改めてかわいいのと、今も頑張ってくれてありがとうと思い、やっぱり申し訳なさは感じたけど、今私ができることは回復することと出るかわからないけど搾乳を頑張ってみることだと思いました。

術後2日目からは大部屋に移動となり、後陣痛と、創部の痛みとの戦いでした。さらにそれに加え、おそらく麻酔の副作用と思われる、起き上がると悪心嘔吐頭痛という症状がありました。寝ると楽になるので寝ときたかったですが、帰るためにも動かないとと思って頑張りました。

出るかわからなかった母乳は、術後3日目ごろからは胸の張りが痛くて寝られないほどででした。パンパンにはれて搾乳しても一時的に少し楽になるだけという状況で、3時間おきくらいにするように言われていた搾乳はそんなにもつわけもなく、すごくしんどかったです。冷やしたら乳腺が痛むからと言われながら隠れて冷やしたり、結構はってるねーといって助産師さんがマッサージをしてくれたりしました。

同室の方は母子同室中で、赤ちゃんの鳴き声が聞こえると寂しくなったりはしましたが、ピヨまるくんもNICUで頑張っていると思って搾乳した母乳を毎日届けていました。

日齢2に抱っこをさせてもらい、小さいけどしっかり重みを感じました。

術後5日目の診察で次の日の退院許可が出ました。母子同室の親子は無事退院していき、最終日は大部屋にひとりかも?ラッキー!と思っていた矢先、すぐにしっかり満床になりました。そのうちの1人は、別の部屋からの移動で、入院で妊娠継続を長期間頑張っている方(おそらく)でした。その夜、その人も点滴増えたりしてしんどかったのだと思いますが、同室者の少しの物音や出入りする看護師さんの音で、うるさいっと聞こえるように毎回言ってきました。私も、夜間に搾乳するときいつもより気をつけて動いていましたが、無音ですることはできず、何度もうるさいっと言われました。流石にしんどくなり、廊下の共有トイレで搾乳をすることにしましたが、夜だったからかすごく悲しくて、自分より週数がいっていそうなのも羨ましくて、もやもやが止まりませんでした。まだ入院日数が残っていれば私が個室に移動していたと思います。他人の愚痴はこの辺でやめておきます。

残念な最終日となりましたが、次の日は予定通り、ピヨまるくんより一足お先に退院しました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

出産&妊娠編はここまでにして、次はピヨまるくん入院編に続きたいと思います。長々と失礼します。

コメント

タイトルとURLをコピーしました