ピヨ父です。
今日は私の趣味について話そうと思います。
高校3年生の時にまあまあ仲のよかった友だちがiPod片手に突然やってきてこれを聴いてくれと聴かされたのがサクラメリーメンというアーティストのサイハテホームという曲でした。その当時はなんていい曲なんだとそれ以降何度も聴いていました。
私は卒業後は浪人が決まったのですが卒業ライブでその友だちがボーカルをやると言ってこれまた突然私にギターをやってくれないかと言われたのが始まりでした。
バンドかっこいいなと思っていたので勢いでやると言ってしまったのですが1バンドだいたい30分くらいでその他の曲も増え、結局5曲やることになり、しかも本番まで3週間しかありませんでした。幸い私が担当したのはサイドギターで主にアルペジオを弾くリードギター(こちらの方が初心者には難しい印象で実際にそうだと思います)は別の友だちがやることになっていたことがせめてもの救いでした。とはいえギターを一回も触った事がなかったのでその日から死にもの狂いで友だちの家で練習していました。
私は浪人が決まった身でしたので親には図書館で勉強しに行くと言ってすぐに友だちの家に行くという毎日でした。(この事は10年以上経った今でも未だ打ち明けていません笑)
なんとか形になるかなと思って当日を迎えました。ですが練習と本番では何かが全く違う、緊張もあったのでしょうが、暗い部屋で弾いたりお客さんが前にいたり、立って弾いたりと、普段と違う状況がいくつも重なって結果は想像の通り、、
ボロボロでした。
そもそものバッキングも音が鳴っていないときが多々ありましたし頭が真っ白になり全く弾けなくなってしまった箇所もありました。(確かLASTALLIANCEの疾走だったと思います)
最後の曲はボーカルの友だちが聴かせてくれたサイハテホームだったのですがその前に散々な目に合い、半泣き状態で弾いていたような気がします。ですがその曲で同級生、下級生が楽しそうに聴いていた光景が今でも残っていてバンドやるなら絶対もうこんな思いはしたくない、上手くなったら絶対に楽しいはずと決めて浪人時代に入ります。
浪人は親元を離れて京都の駿台予備校に行っていました。二条城近くの男子寮に入ったのですがそこにギター弾きの2浪先輩がいて、部屋でJUDY AND MARYのくじら12号を聴いた時はめちゃくちゃかっこいいと思ってその足でギター入門セットを楽器屋で買って寮に持ち込みました。もちろん楽器は禁止でしたので寮長の目をかいくぐってなんとか部屋に入れました。
ただこれは今でも本当に困っているのですが私は極度の飽き性で最初はやってはみるもののそんなギター弾きの先輩のようにすぐ弾けるようになる訳もなく、結局その1年で友だちにギターセットはあげてしまいました。
それからさらに3年程浪人して私はようやく大学に受かります。もう心ではバンドマンになるぞと決めていてすぐに軽音部に入りました。
そこで私はベースを始めることになります。
次回に続きます。
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